エル・リートのこれまで 今日は満月だ。 満月の日はいつだって思い出す。 忘れたくない幸せだった日々を。 そして、忘れてしまいたい悲しい出来事を。 私、エル・リートは、海の見える村で生まれた。 パパは悪魔狩りの仕事をしていて、ママは近所の病院で働いていた。 そこは決して大きな村ではなかったし、私たち家族は裕福ではなかったけど、 とても幸せな日々だった。 パパとママの仕事がお休みの日、家族みんなで浜辺に出かけて 遊んでもらうことが私にとって至上の幸福であり、 その時間があれば、私は世界の誰よりも幸せだと思うことが出来た。 とある日の夜、パパが傷だらけで帰って来た。 悪魔狩りの仕事をしているから、たまに傷を作って帰って来ることはあったけど、 その日の傷はそれまでとは違う、たくさんの、とても大きな傷だった。 ママと私はびっくりして、私は泣いてしまったけど、 そんな私を見て、パパは痛みを堪えながら笑顔を作り、 「エル、びっくりさせてごめんね。パパは大丈夫だよ」 と言った。 体のあちこちにある傷がとても辛そうだったけど、その言葉を私は信じた。 結果的にはパパの言う通りで、病院で働いているママの手当てもあり、 私が寝る頃には、痛みもだいぶ引いてきたようだった。 その時にパパとママが話していたことを、今でも覚えている。 「やっぱり、あの噂は本当なのかしら?」 「ああ、今日倒した悪魔は今までとはレベルが違い過ぎる。  野良ではない、魔王軍の悪魔の可能性が高いね」 「だったら、この村は……」 「……そのことについては、エルが寝た後に話そう」 その時の私は、二人の会話を聞いて、とても心がざわついたのを覚えている。 私たちが住んでいるこの村に、何か良くないことが起こるような気がしたのだ。 翌日、私はママから一つの仕事を与えられた。 ある手紙を、私たちの住んでいる村から少し離れた街へ届けて欲しいと頼まれたのだ。 その街にある聖騎士団の拠点に、この手紙を届けて欲しいと。 私が届けるよりもママが届ける方が早いと思ったけど、 エルにしか出来ないことなのよ、とママが言うので、私はその仕事を受けることにした。 悪魔よけの聖水を体に数滴つけた後、予備として聖水の瓶を一つと、 あとは何かあった時のために、というには多すぎるぐらいのお金を渡され、 私は村を出た。 ママは、手紙の中身は絶対に見てはダメだと言っていたので、 ちゃんとそれを守り、自分のペースで街を目指した。 あの時、手紙の中身を見ておけば、もっと急いで街に向かったのにと思う。 悪魔よけの聖水のおかげか、あるいはパパが日頃から村の近辺の悪魔を討伐してくれていたおかげか、 私は悪魔の一匹にも遭遇せず、聖騎士団の拠点がある街へとたどり着くことが出来た。 朝に出発したのに、到着したころには夕暮れ時になっていて、 これだと村に帰るのは夜かな。嫌だな。なんて呑気に考えていた。 聖騎士団の拠点に向かい、受付の人へ手紙を届けると、 その人はその場で手紙の封を開け、ママの書いたであろう文章を読み始めた。 読んでいる最中、どんどんとその人の顔は青ざめていき、読み終わるや否や、 すぐに騎士団長と呼ばれる人のもとへと向かって行った。 昨夜と同じような心のざわめきが私を襲う。 ああ、これはきっと、良くないことが起こる。 そう思っていると、 頑丈そうな鎧に身を包み、大きな武器を持った人たちがたくさん、拠点の奥から出て来た。 その中でも特に目立つ兜を被り、赤いマントを身に着けた人が私に話しかける。 「まだ子どもじゃないか……。よくあの手紙を持ってきてくれたね。感謝するよ」 「あの……ママの手紙には……なんて……?」 「……キミの住む村が危ない。魔王軍がすぐそばまで来ている」 「まおう……ぐん……?」 それは、昨夜パパが言っていた言葉だ。 子どもの頃の私は、悪魔たちの王、魔王がこの世界にいるということを知ってはいたが、 自分たちとは関係のない、どこかおとぎ話のような存在だと思っていた。 でも、そうではなかった。 騎士団長と呼ばれる人は、私を聖騎士団の拠点に残るよう勧めたが、 私はそれに強く反対し、彼らと共にパパとママの待つ村へと向かった。 聖騎士団の馬車で、私が歩いて来るのよりも何倍もの速さで村へと向かう。 近づいてきたころ、何かが赤く染まっているのが見えた。 焚火のような、木が焼ける匂いがする。 馬車が村へと近づいていくたび、私の心臓の音は大きくなり、 呼吸は浅くなり、涙が溢れてくる。 「うそ……うそだよ……。こんなの……ないよ……」 到着したとき、私の目の前にあったのは、 朝に出発したときとは全く違う、火に焼かれる生まれ故郷だった。 たくさんの聖騎士たちと悪魔との戦いを、少し離れた馬車の中から見つめる。 火が立ち上る家屋、住人たちの亡骸、命を奪い合う聖騎士と悪魔たち。 ねえ、パパとママは……? パパとママはどうなったの……? それは、分かりきっていたことだった。 でも、認めたくなかった。 戦いは聖騎士たちの勝利に終わり、私は馬車から降り立ち、 水の魔法で消火された村を見つめ佇む。 何も、ない。 そこにあるのはたくさんの人の亡骸と破壊された建物だけで、 私が知っている穏やかで幸せな村の面影はどこにもなかった。 煌々と輝く満月が残酷だった。 「生存者はいませんでした」 少し離れた場所で、聖騎士が騎士団長に報告する声が聞こえる。 その瞬間、私はまた涙を流し、崩れ落ちた。 その後の私は、聖騎士団の紹介で、故郷から遠く離れた村の修道院で働くことになった。 いわゆる、シスターというやつだ。 パパとママの一件でとても大きな傷を負った私の心に、何かを信仰するというのは救いだった。 私は毎日、神に祈りを捧げている。 どうか、私のような思いをする人がこれ以上出ませんように、と。 シスターになってしばらくして、友だちが出来た。 名前はフィーナ。 私よりも後にシスターになった彼女は、私と年齢が近くて、 友だちのような、ううん、なんだか年の近い家族のような存在だ。 フィーナと過ごす毎日は楽しくて、そんな日々を重ねていくうちに、 私に欠けていたものが少しずつ満たされていく気がする。 少しずつ、心の傷が癒されていくような気がするのだ。 ある夜、フィーナに私の過去の出来事を話したことがある。 話を聞き終わった後、フィーナは涙を流し、私を抱きしめてくれて、 その日は一緒に寝てくれた。 その暖かな夜も、私の心を癒してくれた。 いつしか、私の心を常に蝕んでいた大きな傷は、 こうして満月の夜にしか顔を出さない程度に小さくなっていた。 今日の月もあの時と同じで、丸く、煌々と輝いている。 あの夜、私は全てを失った。 私には何も残されていなかった。 でも、今の私にはフィーナがいる。 暖かくて、優しくて、私を癒してくれるフィーナが。 フィーナ、いつも一緒にいてくれてありがとう。 明日もいい一日にしようね。