特典SS 【調子が狂う恋】  彼女から『今日会えませんか?』とメッセージがきたのは、部屋でだらだらとしていた日曜日の午後だった。思わず画面を二度見して、ふうと息を吐く。   「やっときた……」    ホテルであんなにお互いの相性を確かめ合ったのに、別れ際なんて頬を染めて俺を見ていたくせに、あの日から一週間彼女からの連絡はなし。  さすがに、と思ってこっちから連絡してみれば、彼女は友人の結婚式で地元に帰っていた。  いや別に、それならそれで俺に一言あっても良くないか? ずっと待ってたのに。  そんな本音はひた隠しにして『じゃあ帰ってきたらまた会おうね』と返信したのが数日前。   「もちろん会うに決まってるし」    すぐに反応したら待ってたと思われるから、少し時間をあけてから返信する。  けれど、心はかなりはやっていた。  恋愛に関して執着はしない方だと思っていたけど、どうも彼女に対しては違う。  彼女のとぼけた笑顔が早く見たい。   ***    待ち合わせは出会ったホテルのあった駅。着いた時にはビル群の向こうの空はオレンジ色に染まっていた。    あのホテルにまた泊まってもいいな。  その前に食事か。そういえば彼女の好みはまだ知らない。  和食ならあの店、イタリアンならあの店……と検索をかけていると、彼女がやってきた。    会わなかった期間としては二週間もない。  けれど俺を見た途端ぱっとほころんだ顔を見て、どうしようもなく焦がれていたと実感した。    会いたかった。別れたその時からずっと、すぐにでもまた会いたかった。  恋愛なんて暇潰しだったけど、彼女はそう思えない。  俺って案外、恋愛体質だったのかもしれない。   「すみません、呼び出したくせに遅れちゃって」    彼女が息を切らせてやってくる。俺のために走ってくるとか、ほんといいな。妙な満足感から笑顔になってしまう。   「いいよ。俺も今来たとこ」 「良かった! 今日はありがとうございます! あの、これ受け取ってください」    彼女は紙袋を俺に差し出した。受け取ってみると、ずっしりした重みがある。   「地元のおみやげです!」    お菓子とパンと漬物と地酒と……。彼女のセレクトしてくれたものは多岐に渡っていた。ちらりと中をのぞくとそれはもう色々なものがつまっている。   「いやこれ、買いすぎじゃない!?」 「おすすめしたいものがたくさんあったので、つい……」    えへへと照れ笑いする彼女を今すぐ抱きしめたい。  だってこれ全部俺のためなんでしょ? 俺のこと考えて、喜んで欲しくて……ってやつでしょ?  こういうの、ほんっとやばい。うれしい。愛しい。抱きしめてキスしたい。今すぐホテル行きたい。   「……どうしましたか? あ、ちょっと多すぎました……? 苦手なものあったら抜いてください! 持って帰るので!」 「ああいや、全然大丈夫。全部もらうよ。食べるの楽しみだなぁ」    本当にありがと、と伝えると、彼女の笑顔がはじけた。  あーもう、ほんとかわいい。素直は正義。間違いない。   「じゃあせっかくだし、このままごはん行こうか。何か食べたいものある?」 「あ……すみません、今日はもう帰ります」 「え」    まさかの一言に俺はかたまった。彼女はなぜか真顔になっている。  え、なんで? この流れは絶対ごはんでしょ。   「明日仕事ですし、おみやげ渡したかっただけなので」    賞味期限短いものもあったし……という言葉は右から左。  俺の頭の中は『?』でいっぱいだ。「ちょっと待って」と言ったものの、いつのまにか彼女はいつもの笑顔で「また連絡しますね!」と爽やかに言って俺に背を向けた。   「……おかしくね?」    吐き出した言葉は、まさに往生際の悪い男のそれだった。    いやでもそうでしょ。日曜の夕暮れに待ち合わせたのに、ほんのちょっと話してバイバイって……ないだろ、普通に。ありえない。   「……あーもうっ……」    とりあえず考えるのはあとまわし。俺は駆け出して、彼女が改札を抜ける前に手首をつかんで引き戻した。   「わっ……!」    不意打ちにバランスを崩した彼女を抱きかかえるようにして、改札から引き離す。柱の影まで移動したところで解放すると、彼女は目を白黒させていた。   「ごはん、食べよ。おごるから」    先回りして言うと、彼女はそういうことかという感じでうなずいた。俺が力づくで引き止めた理由はなんとか伝わったらしい。   「あ、いえ、全然私払います! けど……」 「けど?」    それでもまだ彼女は戸惑っている──というか、嫌がってる? なんで?  さっきまでの俺に対する好意的なオーラはどこいった!?  胸の中がざわつく。全然彼女の気持ちがわからない。   「なんか都合悪いことあるの」    あ、まずい。声に不機嫌が出てしまった。  案の定、彼女の視線が不安げにさまよう。けれどすぐ俺に目を合わせて、申し訳なさそうに言った。   「その、今日はお泊まりできないので」 「うん、明日会社があるからでしょ?」 「はい……それだと、ほら、あれかなって」 「あれ?」 「坂上さんを満足させられないというか……」 「あー、なるほど、そういうこと」    セックスできないからもう帰る、というわけか。  いや確かにしたいけど、泊まりたいけど、ここで無理やり泊まろうとか言うのはかっこ悪い気がする。   「別にそんなのわかってるよ。俺、別に君とヤリたいから会ってるわけじゃないから。前に言ったでしょ。『ごはんだけでもいいし』って」 「そう、ですけど……」    いや、そこで疑いの目で見ないでくれる!? 俺のことなんだと思ってるんだよ。  ──やっぱり最初の印象って強いんだよなぁ、ほんと。  やれやれと思いつつ、俺は優しく微笑んだ。   「今日はごはんだけ食べて解散にすればいいんじゃない? それでまた今度改めてお泊まりしようよ」 「……はい」    彼女はほっとした様子でうなずいた。けれど、まだその表情に憂いが残っている気がする。   「……ん、まだ何か気になることある?」    彼女はさっき以上にもじもじした感じで口ごもった。  え、これ以上何があるんだ? 全く予想がつかないから、俺も辛抱強く彼女の口が開くのを待つ。  じりじりとした沈黙の後で、彼女は観念したようにつぶやいた。   「……ごはんに行っちゃうと私の方が離れがたくなる気がして……」 「っ……!」    これはきた。やばい。反則。  いや俺だってそうなんだけど!?  絶対そうなるのわかってるけど、我慢しようと思ってたんだけど!?    ──ここで二択。  ごはんに行った後、寂しそうな彼女をいなしてスマートに家に帰すか。  仕事の問題をなんとか解決して彼女の夜をいただくか。   「はー……君ってそういうとこあるよね」 「……どういうところです?」 「そういうかわいいこと言うなら……」    上目遣いで俺を見つめてくるのも、ほんとやばい。  素直は正義。認める。  ついでにもう一つ。  彼女の言葉や行動ひとつひとつに振り回されてる。これも認める。    俺はもう一度手を伸ばして、彼女の肩を抱いた。耳元に顔を寄せて、そっと一言。   「ごはんより先に、君のこと食べていい?」    瞬間的に彼女の顔が真っ赤になった。  これだ、第三の選択肢。これしかない。  思いつきでこぼれた言葉を実行すべく、俺は彼女に満面の笑みを向けた。