XX21年 1月1日(金) 大晦日も元旦も、何もなかった。 家には誰もいない。 私はずっと勉強していた。 受験生だしこれでいいわ。 2月14日(日) 勉強中に、ゆいか先輩からメッセージが届いた。 ハッピーバレンタインという文章に、 チョコレートを差し出すウサギのスタンプが添付されていた。 バレンタイン用のスタンプかしら? かわいいわ。 「来年は私も望月も受験ないから、  遠慮なくチョコが渡せるね。楽しみ」 今年もチョコはなし。ということを暗に示す彼女のメッセージ。 私としては受験の有無関係なしにチョコを渡して欲しかった。 でもそれを彼女に伝えるだけの勇気はない。 「そうですね、来年を楽しみにしています」 と返信した。 2月19日(金) 今日は第二志望の受験だった。 何の問題もなかったわ。 広田さんも受験していた。 彼女も十分な手ごたえを感じていたみたい。 2月25日(木) ずっと勉強していた。 九重(ここのえ)高校に入れなかったら、と考えると怖くなるし、 その恐怖感が私の原動力になっている。 勉強して勉強して勉強して、 必ず九重高校に入るんだ。 2月26日(金) 第二志望の結果が出た。 私も広田さんも合格していた。 「滑り止めと言っても、合格すると安心するね」 嬉しそうに話す広田さんだったが、私は全く安心していなかった。 九重高校に合格するかどうかが、私の受験だからだ。 第二志望を受けたのは担任が勧めたからであって、それ以外の理由はない。 2月28日(日) 明日は九重高校の受験。 ゆいか先輩と一緒に走れるかどうかが、明日の試験で決まる。 全力を尽くそう。 3月1日(月) 九重高校の受験だった。 国語、数学、英語の三科目と面接。 試験は問題なかったし、面接もよかったと思う。 今日はいなかったけど、 いつもゆいか先輩がここに通っていて、 春から私もそうなるかもしれないと思うと 心が躍った。 3月2日(火) 受験が終わった中学校生活は、ひどく退屈だ。 今日は広田さんが受験で学校にいなかったから、なおのこと退屈だった。 学校帰りに図書館へ寄って読書をした。 勉強室は今日も静かだった。 3月5日(金) 「ねえ、陸上部見に行かない?」 お昼休みに広田さんから誘われた。 そう言えば、去年も一昨年もこの時期に 引退した先輩たちが部活を見に来ていたことを思い出した。 なるほどね。 受験が終わって卒業を待つ間、自身が引退した部活を見に行くというのは 中学校生活で残された時間の、いい使い方だと思う。 久しぶりに顔を出した陸上部では、如月くおんが部長として部をまとめあげていた。 「ちょっとそこ、ダラダラしないよ。早く位置について」 「如月先輩すみません、えへ」 「えへって何だよ!」 遠目からそんなやり取りを見ていて、 本当に、ゆいか先輩の代とも、広田さんの代とも違う陸上部になったんだなと感じた。 私たちに気が付いた如月くおんは、 嬉しそうに駆け寄ってきて、挨拶をした後、 今の陸上部の走りを見て欲しいと言ってきた。 言われるがまま見て、驚いた。みんな速い。 走りを見るまで、少し慣れ合いのような変なゆるさを感じていたのだが、 部員が走る姿を見て分かった。 今の陸上部は、全員が真面目に頑張っている。 「さすがくおんちゃん、いい部になってるね」 広田さんにそう言われた如月くおんは、嬉しそうに目を細めていた。 3月7日(日) 明日は九重高校の合格発表。 試験も面接も手ごたえがあったし、大丈夫なはずだ。 きっといける。 3月8日(月) 合格した。 私ならいけると思っていたけど、実際にそうなるととても嬉しい。 これで来月からはゆいか先輩と同じ高校に通うことになる。 またゆいか先輩と一緒に走ることが出来る。 このことをメッセージで彼女に伝えたかったが、我慢した。 九重高校の陸上部に入るまでこのことは秘密にしておいて、 彼女を驚かせたいからだ。 サプライズ、というやつね。 広田さんが、よかったね、おめでとうと言ってくれた。 3月12日(金) 卒業式だった。 私はこの三年間で勉強も、それ以外のことも、たくさん学べたように思う。 陸上部のみんな、特に、ゆいか先輩や広田さんのおかげだ。 「先輩がいなくなるの嫌っす!」 式が終わった後、如月くおんがそう言って広田さんに抱きついていた。 表情は見えなかったが、声は涙をはらんでいた。 広田さんは如月くおんを優しく抱きしめていて、 まるで去年の私とゆいか先輩のようだと思った。 名残惜しくない、と言えば嘘になる。 でも、次の場所へ進むときなんだわ。 後輩たちと広田さんへの挨拶を済ませた後、 私は卒業証書を握りしめて、母校を後にした。 3月13日(土) 早く高校に行きたい。 今日はシャーファと、スーパーの店員さん以外誰とも話さなかった。 3月14日(日) 「卒業おめでと」 お昼過ぎに、ゆいか先輩からのメッセージが届いた。 「はい。無事卒業できました」 「望月って高校どこなの?」 「それは言いたくありません」 「ごめん、良くないこと聞いちゃった」 「いえ、そういうわけではないんですけど」 「じゃあ何」 「とにかく、今は言えません」 可笑しい。 彼女と同じ高校であることを隠すことが何だか可笑しくて、ニヤニヤしてしまった。 4月4日(日) 明日は入学式。 明日から私は九重高校の生徒になる。 ゆいか先輩と同じ学校になる。 4月5日(月) なんてことだ。 今日は入学式だったんだけど、 当然ゆいか先輩は出席していて、 あろうことか、式の最中に目があってしまった。 目が合った瞬間、彼女は少し驚いた表情をした後、ニコっと笑って目立たない程度に手を振った。 サプライズ失敗だわ。 きっと私が式の間にゆいか先輩いるかなと思ってキョロキョロしてたのが原因よ。 帰宅すると、彼女から電話がかかって来た。 「望月、びっくりしたよ! そういうことだったんだね」 電話越しに聞こえる声は、興奮しているように思えた。 やっぱりサプライズ成功かも。こんな声が聞けたんだから。 4月6日(火) 部活見学で陸上部に行った。 久しぶりに、一年半ぶりぐらいにゆいか先輩が走る姿を見て、 私は震えた。 そうだ。この人だ。この人なんだ。 圧倒的に速いこの人に勝ちたくて、私は走り続けて来たんだ。 私はその場で入部届を書いて、陸上部に入ることを決めた。 「また望月と一緒の放課後が始まるんだね、嬉しいよ」 ゆいか先輩は笑顔で言った。 私もですよ。と返した。 4月11日(日) 九重高校の陸上部は水曜日と日曜日が休みで、 日曜日に行事がある場合は、振替で土曜日が休みになる。 中学時代と同じスケジュールだ。 身体に馴染んでいるのでやりやすい。 4月15日(木) 陸上部に入部して、ゆいか先輩と走る日々が再び始まった。 彼女は相変わらず速い。 中学時代同様、私は勝てていないが、楽しい。 4月16日(金) 勝てない。 でも幸せだ。 4月24日(土) 大きめの陸上の大会の支部予選だった。 この大会には二年生から参加できるらしい。 ゆいか先輩は見事に上位入賞し、来月行われる県予選にも出場することになった。 流石だ。 私が参加できるのは来年か。 来年はゆいか先輩と一緒に上位入賞して、一緒に県予選に出たい。 4月30日(金) 部活が終わって帰宅したら、両親とも家にいた。 最近は誰もいない日が多いから、珍しいと思った。 もちろん会話はなし。 5月5日(水) ゆいか先輩と遊びに行って来た。 二人でショッピングモールに行って、小物を買って その後は適当に歩いて、駅ビルの中にあるカフェに行った。 こうして二人でどこかに出かけるのって、クリスマス以来かしら。 いろんな話をしたし、いろんな話を聞かせてくれた。 楽しかったし、嬉しかった。 とてもいい一日だったわ。 5月16日(日) 陸上の大きな大会の県予選。 ゆいか先輩はいつも通り素晴らしい走りを見せたけど、 次のブロック予選に進むことはなかった。 相手が強すぎたのだ。 「さすが県予選、みんな速いね」 悔しさを滲ませながらも、笑顔で話す私の先輩。 不思議だ。 今日私は、ゆいか先輩よりも速い人を何人も見た。 でも、悔しくならなかった。 その人たちよりも速く走りたいとは思わなかった。 私は、ゆいか先輩を越えたいだけなんだ。 速く走りたいのではなく、一人の先輩を越えたいだけ。 この考え方ってどうなんだろう。 でも、それが正直な気持ちだ。 5月17日(月) 今日から木曜日まで中間テスト。 高校のテスト期間って長いのね。 5月20日(木) 中間テスト終了。 5月21日(金) 今日から部活再開。 陸上部では、この前行われた大きな大会で三年生は基本引退するらしい。 ただ、続けたい部員は11月の大会まで参加しても良いとのこと。 また、新人事も11月の大会後に発表になるようだ。 それを聞いてホッとした。 もしも三年生全員が5月の大会で引退となると、 ゆいか先輩と走れる機会はあと一年しかないということになるからだ。 5月22日(土) 陸上部に、ゆいか先輩程ではないが、かなり速い先輩がいる。 笠原真紀(かさはらまき)という名前のその先輩は、 私よりも少しだけ遅い自己ベストタイムを保持していて、 一緒に走った時は、勝ったり負けたりを繰り返している。 この状況が私は気に食わない。 陸上部で一番速いのはゆいか先輩で、 その次は常に私という状況でいたいのだ。 6月2日(水) 部活休み。 家に帰ったら誰もいなかった。 夜中になった今でも帰って来ない。 いつものこと。 6月19日(土) 今日もゆいか先輩に勝てなかった。 でも、笠原先輩には勝てた。 帰りに図書館で走り方についての本を借りた。 前に借りたものだけど、もう一度読み直そうと思って。 6月21日(月) 雨が降っていたので部活休み。 梅雨時はこういうことがあるから嫌だ。 帰りに図書館に寄って、勉強して帰宅した。 夜ご飯は炒飯を作って食べた。 6月23日(水) ゆいか先輩と笠原先輩と三人でファミレスに行って来た。 「望月も真紀も、すごい速いよね。  私も頑張らなきゃ」 「え~、ゆいかちゃんが一番速いじゃん。  だから頑張らないでいいよ~。  たまには私にも勝たせて~」 「いーや、私は頑張る。  もっと圧倒的な差で勝ち続ける」 「何それ~」 二人の先輩が楽しそうに話をしている。 笠原先輩は、部活の時の俊敏な走りからは想像もつかないような のんびりとした話し方だ。 しかし、何だろう。 ゆいか先輩は、私には望月って苗字で呼ぶのに、笠原先輩には真紀って名前呼びなんだ。 別に気にすることでもないんだけど、何だかなあ。 如月くおんのこともくおんちゃんって呼んでたし。 「望月さん、私ね~、あなたとゆっくりお話してみたかったの。  だから今日、こうしてお話できて、すっごく嬉しいよ~」 笠原先輩の話し方はのんびりとしていて、甘ったるい。 彼女の言葉に、私もお話出来て嬉しいです。と返した。 7月4日(日) 明日からテストだ。 期末テストは5日間。 やはり、中学生の時よりも長い。 7月8日(木) まだテストが終わらない。 早く終わらないかしら。 早く走りたいわ。 7月10日(土) 昨日期末テストが終わって、今日から部活再開。 久しぶりに走ると何だか体が軽い気がして、自己ベストを更新した。 ゆいか先輩が、さすが望月、いいね。と言ってくれて嬉しかった。 7月18日(日) 陸上の大会だった。 同じ大会に広田さんも参加していてびっくりした。 競技前の空いた時間に、久しぶりに話をした。 7月21日(水) 今日から夏休み。 部活が休みだから、誰もいない家に一人でいた。 だんだん悲しくなってきたので図書館に行って、勉強室で本を読んでいた。 7月30日(金) こんなこと書くべきかどうか迷うけど、 日記だし書くことにする。 今まで使っていたブラがきつくなってきた気がする。 いや、明らかにきつい。 サイズを見直すべきね。 7月31日(土) 「ゆいか先輩」 「どしたー?」 「ブラがきつくなってきました」 「何?嫌味か笑」 「そういうわけじゃないんですけど、  新しいの買わなきゃなって」 「じゃ明日買いに行こうよ。私が選んであげる」 「え」 「何か予定あった?」 「いえ、予定はないですけど、ちょっと恥ずかしいです」 「うん。じゃあ決定ね。明日12時に駅前待ち合わせでよろしく」 さっき、こんなメッセージのやり取りをしていた。 私は、ゆいか先輩と下着を買いに行くことになった。 流れで決まったけど、ちょっとこれは恥ずかしいわ。 でも、ゆいか先輩に選んでもらえるのは嬉しい。 8月1日(日) 下着売り場でのゆいか先輩は楽しそうだった。 「望月は綺麗系だから、こういうセクシーなのいいんじゃない。  ああでも、こういう清楚な感じのも似合いそう」 いろんな下着を手にとっては、私と見比べて、うんうんと満足そうに頷く。 そこまではまだ良かった。恥ずかしかったけどまだ良かった。 「ねえ望月、私も今日下着買うから、望月が私に似合いそうなの選んで」 突然そう言われ、私は固まってしまった。 ゆいか先輩の下着を私が選ぶ? そんなの、出来るわけがない。 「いや、その、私、そういうのは……あの、ゆいか先輩が自分で選んでください」 「えー、望月、そんなこと言うんだ。悲しいなあ。望月に選んでほしかったなあ」 シュンと肩を落とす彼女を見て、私は要望に応えることにした。 そうせざるを得ない空気だった。 私が選んだのは、青の生地に黒のリボンがあしらわれたものだ。 「わ、いいね。かわいいじゃん」 ゆいか先輩は私が選んだものを喜んで買ってくれたが、私はやっぱり恥ずかしかった。 私も、ゆいか先輩が選んでくれたものを購入した。 8月18日(水) 16歳の誕生日だった。 何もなかった。 8月19日(木) 明日から陸上部の合宿だ。 三泊四日で行われる合宿は、中学校時代より一日長い。 とても嬉しい。 この家に三日間も帰らないでいいんだし、 ゆいか先輩とその間一緒にいられるから。 8月23日(月) 陸上部の合宿から帰って来た。 笠原先輩が絶好調で、 最終日前には自己ベストを更新し、 私よりも良いタイムを保持するようになった。 「わあ~、自己ベ更新しちゃったぁ~」 のほほんと喜ぶ彼女は、走っている時とはまるで別人だ。 悔しい。 悔しい悔しい悔しい。 心の底から悔しい。 私とゆいか先輩の間に彼女が入っているという状況が悔しい。 夕方、入浴の時間になり、 悶々とした思いを抱えたまま大浴場で頭からお湯を浴びていると、 ゆいか先輩がやって来て、私の頭を洗ってくれた。 シャンプーは家から持ってきたものだろう。 中学時代と同じ、柑橘系の香りがした。 「望月、怖い顔してる」 「あ、すみません」 「何かあった?」 「何もないです」 「そっか。じゃ、今日、例の時間に休憩所で待ってる」 私たちのやり取りは、会話になっているのかいないのか。 でも、ゆいか先輩の言っていることは分かった。 就寝時間後、私は部屋を抜け外へ出た。 中学校時代とは違う合宿所。 休憩所の自動販売機の前に、ゆいか先輩はいた。 「望月、来てくれたね」 優しい笑みだった。 彼女は自身が座っている場所の隣をとんとんと叩いて、私に座ることを促す。 その所作が、懐かしく感じられた。 「望月の思ってること、当ててあげよっか」 「何です、急に」 「真紀が望月よりいいタイム出して、悔しいんでしょ」 「え、それは」 「はは、当たりだ」 私は何だか恥ずかしくなって、黙ってしまった。 ゆいか先輩は続ける。 「真紀はすごい子だよ。  あの子、人に対して優しいし、穏やかだけど、  自分に対してはものすごく厳しいから」 ゆいか先輩の口からそんな言葉が出てくるのは意外だった。 認めてるんだ。 でも、少しだけその感情も分かる気がした。 私も広田さんに同じような感情を抱いていたから。 「でもさ、私分かるよ。  望月だったらすぐに真紀に勝つって。  私と戦うために、ううん、  私に勝つためにここまで来たんだもんね。  真紀ごときに負けてられないよね」 言いながら、ゆいか先輩は、ふふ、と笑う。 「真紀ごときって。それ、笠原先輩が聞いたら泣きますよ」 「それはそれで面白いと思わない?  『うわぁ~ん、ゆいかちゃんにひどいこと言われたぁ~』って」 声真似が似ていて、私は吹き出してしまった。 「真面目な話、私は真紀のことをすごいと思ってる。  でも、望月のことはもっとすごいって思ってる。  明日からまた頑張ろ」 ゆいか先輩のその言葉で、合宿最後の夜は締めくくられた。 私はこの数年で、人を見下すことが減ったように思うが、 きっとゆいか先輩もそういう変化があったのだろう。 少なくとも、笠原先輩のことは認めている。 よし、また頑張ろう。 まずは笠原先輩に勝つ。 8月26日(木) 合宿の時から笠原先輩は調子が良いみたいで、 今日も自己ベストを更新していた。 私はなかなか更新できていない。 でも絶対に勝つ。 8月31日(火) 夏休み最終日。 朝から部活に行って、お昼過ぎに帰ってきて、家でのんびりしていた。 両親とも家にいなかった。 私が高校に入ってからは、両親不在の日がかなり増えた。 9月1日(水) 今日から二学期。 暑さのせいで、登校中に汗をかいてしまう。 そうするとシャツが体に張り付いて、下着が見えるのが嫌だわ。 9月11日(土) 夕方に、如月くおんからメッセージが届いた。 公園で花火をするので、望月先輩も一緒にどうですか? という内容だ。 9月なのに花火なんて少し遅い気もしたけど、 如月くおんに久しぶりに会うのも悪くないと思って、誘いに応じた。 公園に行くと、如月くおんと広田さんがいた。 懐かしい顔ぶれだ。 三人で花火をするのは楽しかった。 手で持つタイプのものや、地面に置くタイプのものなど、 いろんな花火があって、それぞれが楽しい。 最後に残った線香花火の火が消えた後、公園のベンチに三人で座った。 広めのベンチだったから、三人でも問題なく座ることができた。 自販機で買ったペットボトルのジュースを一口飲んで、如月くおんが発言する。 「私、高校に入ったら、バスケやろうと思ってます」 久しぶりに見た彼女の横顔は、幼さが抜けてきているように見えた。 「中学生になって陸上始めて、めっちゃ楽しかったし、いろんな経験も出来ました。  でも私、前からバスケやりたいとも思ってて、  その、今は陸上よりもそっちやりたいって気持ちが強くて」 「そっか。わざわざそれを教えてくれるなんて、私嬉しいな」 そう答える広田さんも幼さが抜け、大人になっているような気がした。 「そうね。こういうことを直接会って伝える感じ、私もいいと思うわ。  まあ、如月くおんの身体能力なら、  何をやってもいいところまで行けるんじゃないかしら。  頑張りなさい」 「うんうん、くおんちゃんならバスケでもきっと大活躍出来ると思うよ。  頑張ってね」 私たちの言葉を聞いて、如月くおんは 「マジっすか!? マジのマジっすか!?」 と喜んでいた。口調が昔の感じに戻っていた。 帰り道、夜風が涼しくて、夏が終わっていくのを感じた。 9月14日(火) 夏が終わっていくのを感じた。とこの前書いたが、日中はまだまだ暑い。 クラスメイトの女子が制服の襟元をぱたつかせていて、男子がそれをちらちらと見ていた。 ほんと、男ってエロの塊ね。 どうしようもないわ。 それに、クラスメイトもクラスメイトよ。 いくら暑いからと言って、教室で男子を扇情するようなことしないで欲しいわ。 9月16日(木) 放課後、部室に向かう途中でゆいか先輩と遭遇したので、 そのまま一緒に向かった。 「それにしてもさ、もうすぐ10月だってのに暑いよね」 そう言って、彼女は制服の襟元をぱたつかせていた。 私は、制服と素肌の隙間をちらりと見た。 私が選んだブラが、そこから見えた。 って、何を書いているのかしら。 これだと私がクラスの男子みたいじゃない。 違う。違うわ。 ちらりと見たというか、たまたま、ちらっと見えただけ。 訂正するわ。 私が見たんじゃなくて、たまたま見えただけよ。 今日の日記おしまい。 シャーファと寝るわ。 おやすみ。 10月3日(日) よし、自己ベスト更新。 ただ、更新したとは言え、 笠原先輩のベストタイムには届いていない。 もちろん、ゆいか先輩のタイムにはもっと届いていない。 もっと、もっとよ。 10月15日(金) 中間テスト終了。 問題なし。 10月24日(日) 陸上の大会でまた自己ベストを更新したわ。いい感じ。 笠原先輩のタイムにもかなり近い。 あと少しで彼女を越せる。 そうすれば、私はゆいか先輩に最も近い場所にいられる。 10月25日(月) 昨日の大会の結果をネットで見ていたら、 広田さんの名前があった。 会えなかったけど、出場していたのね。 昨日のタイムを並べると、 一番速いのがゆいか先輩、二番目が笠原先輩、その次が私、 で、その次が広田さんということになっていた。 私と笠原先輩と広田さんのタイムに大差はない。 広田さん、頑張っているのね。 11月1日(月) 文化祭の出し物を決める会議があった。 いくつかの案の中で、特に注目を集めたのがメイド喫茶だ。 もちろん、私は反対した。 チャラいからだ。 メイド服を着て「ご主人様」とか言うなんて、私絶対出来ないわ。 しかし、そんなチャラい出し物を支持する声は多く、 結局、多数決により私のクラスはメイド喫茶をやることになった。 11月3日(水) 「おかえりなさいませ、ご主人様」 はあ。ため息が出る。 これは、文化祭で私のクラスがやるメイド喫茶の、 お客さんへの挨拶だ。 当日は、男子が材料や調理器具の運搬、裏方作業、 女子は調理と接客を担当することになった。 私は普段から料理を作っているのに、 クラスメイトの推薦により接客担当になった。 どうして!? 私、調理する方がまだいいのに。 まあ、接客用のメイド服は可愛かったから、 それを着られるのは悪くないけど。 やることが決まった以上、半端なことはしたくないので、 シャーファを相手に何度も練習した。 11月5日(金) 「そう言えばさ、望月のクラスって文化祭何やるの?」 部活が終わった後、聞かないで欲しいことを、ゆいか先輩は何のためらいもなく聞いて来た。 「言いたくありません」 「えー、そう言われると気になっちゃうな」 彼女はそう言って、意地悪そうな笑みを浮かべる。 その眼からは、聞きたい、言わせたいという気持ちが伝わってくる。 「それってさ、私に言えないような出し物だったりするの?」 「ゆいかちゃ~ん、望月さんが言いたくないって言ってるんだから、  聞こうとしちゃダメ~」 のほほんとした感じで、笠原先輩が止めた。 ゆいか先輩は基本的には優しいけど、たまに意地悪だ。 11月6日(土) 昨日、言うのは拒否したけど、 文化祭のプログラムが配布されたら、 私のクラスが何をするのかゆいか先輩にバレるわ。 11月8日(月) 文化祭のプログラムが配布された。 私のクラスの欄に、メイド喫茶と書かれているのを見て、 耳まで赤くなるのを感じた。 やっぱりチャラい。チャラいわ。 これ、今日の部活でゆいか先輩にいじられるかもと思っていたが、 彼女は部活中、そのことについて何も言わなかった。 11月9日(火) 放課後に文化祭の打ち合わせをして、 部活には途中から参加した。 調子がいい。 また速くなっている気がする。 11月13日(土) 文化祭だった。 プログラムが配布されてから一度も私をいじることのなかった ゆいか先輩は、にひひ、と笑いながら私の教室へやって来た。 笠原先輩も一緒だった。 彼女らのもとへオーダーを取りに行った私に、ゆいか先輩は言う。 「来ちゃった」 全く悪びれる様子のない「来ちゃった」だ。 「あのね~、ゆいかちゃんがね~、どうしても行きたいって言ってね~、  望月さん困るかもって言っても聞かなくて~」 笠原先輩はそう話すが、彼女は彼女で楽しそうにしている。 「それにしても望月、メイド服似合うね。  ねえ真紀もそう思うでしょ? 望月可愛いよね」 「うんうん~。思うよ~。望月さん、とっても可愛い」 ゆいか先輩にそう言われるのは、正直嬉しかった。 でも恥ずかしくて、赤面してしまった。 赤くなってる可愛い。と私をからかった後、 ゆいか先輩はオムライスを、笠原先輩はミックスサンドを注文した。 ミックスサンドは調理されたものをそのまま出すだけだが、 オムライスはテーブルに出した後、もう一つの工程を踏む必要がある。 ケチャップで文字を書くのだ。予め決められた文字を。 「ミックスサンドとオムライス、お待たせしました」 そう言って、テーブルの上に二つのお皿を置く。 わあ、美味しそう。と笠原先輩が言った。 ゆいか先輩はニヤニヤしながら私を見ている。 「ね、これってさ、望月がケチャップで何か書いてくれたりするの?」 「はい」 私は答えた後、黄色いキャンパスの上に、 はみでるぐらいの大きなハートと、その中に「LOVE」という文字を書いた。 ゆいか先輩は、え、と言って、私とオムライスを交互に見ていた。 赤くなってる可愛い、と私をからかった彼女の顔が、赤くなっていた。 その後、お客さんが立て続けに来て忙しくなったので、私は先輩たちの席から離れた。 「ゆいかちゃ~ん、写真ばっかり撮ってないで食べなよ~」 と、笠原先輩の急かす声が聞こえた。 うん。 メイド喫茶なんてチャラい、やりたくないって思ってたけど、 やってみたらなかなか楽しかったわ。 ゆいか先輩にメイド服似合うって言ってもらえたし。 私の高校生活最初の文化祭は、良い思い出になった。 11月18日(木) 部活だった。 今週末に行われる大会で、三年生は全員引退になる。 正直言って、私は三年生に対しての特別な気持ちはない。 あるのは、ゆいか先輩と笠原先輩に勝つことだけ。 まずは笠原先輩だ。 11月20日(土) やった! やったわ! 今日の陸上の大会で、私は自己ベストを更新し、笠原先輩に勝つことが出来た。 大会で同じ学校の人と並走するということはあまりないんだけど、 今日はいつもとは違うようで、ゆいか先輩とも、笠原先輩とも一緒に走ることが出来た。 「すごいなあ~。望月さん、速いねえ~」 終わった後、笠原先輩は息を切らせながらそう言った。 一位 遠藤結花(九重 二) 二位 望月亜里須(九重 一) 三位 笠原真紀(九重 二) 大会のサイトに出ているこの結果をスクショして、何度も眺めた。 ゆいか先輩の一番近くにいるのは私だ。 そして、一年以内、彼女が引退する前に越えるのも私だ。 11月24日(水) 本来は部活が休みなのだが、新人事の発表ということで、 部員全員がグラウンドに集合した。 部長には笠原先輩が任命されていた。 「えっとお~、陸上部での活動が、みんなの楽しい思い出になるように、  頑張りたいと思います~」 部長になっても笠原先輩は笠原先輩だった。 のほほんとしている。 12月2日(木) ゆいか先輩が自己ベストを更新した。 「望月、あと一年しかないからね。  私まだ速くなってるんだけど、  あと一年で勝てるのかな」 挑発的な笑みを浮かべながら、彼女は計測係だった私にそう言った。 もちろん、勝つつもりだ。 12月6日(月) 今日から期末テスト。 部活はその間ずっと休み。 走りたいのに走れないというのはもどかしい。 12月10日(金) 期末テスト終了。 明日から部活。 12月11日(土) 部活だった。 ゆいか先輩は今日も速かった。 今日も勝てなかった。 12月24日(金) 今日は終業式だった。 学校はお昼までで、その後に部活。 「もーちづき」 部活終わりに、何だか甘ったるい声でゆいか先輩に声をかけられた。 実は、そうされるのを待っていた。 「今日、この後時間ある?」 「あります」 私にとってクリスマスイブとは、ゆいか先輩と過ごす日なのだ。 部活が終わった後の時間を空けていないわけがない。 「じゃ、6時に駅前集合ね」 そう言って、彼女は嬉しそうに学校を後にした。 待ち合わせ場所で改めて会うゆいか先輩は、 とびきりお洒落をしていて、メイクもしていて 本当に綺麗だった。 私もそれなりにお洒落して行ったつもりだったけど、 そんなのとは比べ物にならないぐらい綺麗だった。 合流した後、私たちは夕食を食べにレストランへ向かった。 初めて行くお店で、いつも行っているファミレスよりも高級な感じがした。 「ねえ望月、私、望月が九重に来てくれて本当に嬉しかったよ」 「私はゆいか先輩のいる高校に行くって決めてましたから」 「ふふ。ありがとう」 ゆいか先輩の顔はほんのりと赤くなって、眼は少し潤んでいるように見えた。 いろんな会話をしながら、いつもより少しだけ高い食事を楽しんだ後、 私たちは買い物に出かけた。 お互いへのプレゼントを買うためだ。 今年は二人とも、手袋を買った。 プレゼントの交換が終わった後、 ゆいか先輩は恍惚とした表情で口を開いた。 「ああ、幸せだなあ。私、今すごく幸せ。  望月はどう? 今、幸せ?」 去年と同じだ。 プレゼントの交換をして、お互いに幸せだと言い合う。 そこまでが、私たちのクリスマスイブの儀礼だ。 「もちろん、幸せですよ」 それを聞いて、えへへと笑う目の前の先輩は、 私よりも年下の少女のようだった。 こうして今年のクリスマスイブは終わった。 今年も素敵な日だった。 今日は良い気分で、ぐっすり眠れそうだわ。 おやすみ。 12月27日(月) 部活から帰ってきたら、リビングのテーブルに食事代と書置きが置いてあった。 「今年も帰省はしません」 やっぱりそうなのね。 ばあばにはもう会えないのだろうか。 12月28日(火) 今年最後の部活、笠原先輩には勝って、ゆいか先輩には勝てなかった。 いつも通りの結果だ。 明日から来年の1月3日まで部活は休み。 それまで暇だわ。 12月31日(金) 誰もいない家でテレビを見ていたら、 ゆいか先輩からメッセージが届いた。 「望月明日空いてる?初詣行きたいんだけど」 ばあばと会えない、家族は家にいないということで 暗く沈んでいた私の心は、たちまち元気になった。 「空いてますよ。行きましょう。」 そう返信して、そこから私はずっとウキウキしていた。 書き方を間違えた。現在進行形でウキウキしている。 ああ、明日、ゆいか先輩と初詣に行けるんだ。 ゆいか先輩に会えるんだ。